天気もよさげだし、どっか遠出したいなあと思っていたこの3連休。
ところが初日の土曜日早朝、チビたんが発熱・・・・。結局この3日間、どこにも行けず家でぼおおおおおっと暮らしていた。よって自然にテレビ三昧。
成人の日の今日。毎年恒例のように、成人式の最中に暴動が起こる。今回ニュースになっていたのは春日部での事件。ヤダー、近いじゃない。
「成人式なんてやめちゃえばいいんだよな」とダンナさん。
それはちょっと極端な意見だけど、昭和初期の20歳と今の20歳では精神年齢が違いすぎるのは明らか。現代じゃ20歳なんてまだまだ子どもだ。派手に目立ちたいという気持ちが大きくなりすぎて、あんなことしちゃうんじゃないかしら。
いっそのこと成人式を満30歳に引き上げたらどうだろう。30歳ならもう家庭を持ち、子どももいる方も多いだろうが、逆に独身者も多い。成人式での再会がご縁となって、結婚する人も増えるかも知れない。この同窓会のような出会いによって結婚するカップルが増えれば、少子化も改善されるかもじゃん。どう?この集団合コン的成人式は。
そうかと思えば、北海道夕張市のような感動的な成人式もある。
「皆さんのおかげで今日の成人式をむかえることができました。」新成人の女の子がインタビューに答えたいたけれど、自分達で作り上げたからこそ、あんな綺麗な涙が流せるんだなあ・・・
新成人に限ったことではないが、現代って、やっぱ「与えられすぎ」な気がする。
20歳になれば、親が着物買ってくれて当たり前、成人式の会場が出来てるのも当たり前・・その裏で頑張ってくれてる人がいるというのは見えないのだ、与えられすぎちゃうと。それに用意された“綺麗なモノ”をぶち壊したくなっちゃうという若い反抗心もわからなくも・・・ない。
与えられすぎてイイことってあんまりナイ。
“無の美学”というか。
何もなければ、そこから何が生み出そうと、人は頑張るわけで。
何かを作り出そうという想像力、どうやったらできるか考える思考力、それを実現する忍耐力、これらは生き抜く力になる。その人の宝物だ。
チビたんにはあんまり“何か”をさせたくない、と思っているワタシ達夫婦。
たとえば、お稽古事みたいなの。野球やサッカー、英語に中国語、算数に漢字、ピアノ、ダンス・・・
早く始めたほうが、芽がでるのは早いだろう。
でも子どもが興味を持つ前に与えてしまうと、大切なことが「やらされてる事」になってしまう気がする。
3歳くらいになれば「あれ欲しい、これやりたい」とチビたんも言い出すだろう。
でも、本当に欲しいものは簡単には手に入らないゼ、ということをわかって欲しい。
特技とか頭脳とか、将来の夢とか。それはチビたんが決めればいい。ワタシ達は健康な体と、良い悪いをジャッジできる精神を与えてあげさえすれば良いのだ。
なんちゃって。そうは言っても、可愛い我が子だもんね。
コレがヨイと思えば与えちゃうもんだ。
“無の美学”なんて忘れて、過干渉しちゃったりするかもしれない。
誰も子どもに悪くなってもらいたい親なんていないもんねー。
でもそんなとき、ブレーキをかけてくれるのが、ダンナさんだったり、ママ友だったり、実母だったり義父母だったりするんだろうな。
いやいやなんとも、とりとめのない文章になってしまった。
これはきっと夕食前だからに他ならない。チビたんの将来も大事だが、まずは夕飯の仕上げをしなくては・・・
ところが初日の土曜日早朝、チビたんが発熱・・・・。結局この3日間、どこにも行けず家でぼおおおおおっと暮らしていた。よって自然にテレビ三昧。
成人の日の今日。毎年恒例のように、成人式の最中に暴動が起こる。今回ニュースになっていたのは春日部での事件。ヤダー、近いじゃない。
「成人式なんてやめちゃえばいいんだよな」とダンナさん。
それはちょっと極端な意見だけど、昭和初期の20歳と今の20歳では精神年齢が違いすぎるのは明らか。現代じゃ20歳なんてまだまだ子どもだ。派手に目立ちたいという気持ちが大きくなりすぎて、あんなことしちゃうんじゃないかしら。
いっそのこと成人式を満30歳に引き上げたらどうだろう。30歳ならもう家庭を持ち、子どももいる方も多いだろうが、逆に独身者も多い。成人式での再会がご縁となって、結婚する人も増えるかも知れない。この同窓会のような出会いによって結婚するカップルが増えれば、少子化も改善されるかもじゃん。どう?この集団合コン的成人式は。
そうかと思えば、北海道夕張市のような感動的な成人式もある。
「皆さんのおかげで今日の成人式をむかえることができました。」新成人の女の子がインタビューに答えたいたけれど、自分達で作り上げたからこそ、あんな綺麗な涙が流せるんだなあ・・・
新成人に限ったことではないが、現代って、やっぱ「与えられすぎ」な気がする。
20歳になれば、親が着物買ってくれて当たり前、成人式の会場が出来てるのも当たり前・・その裏で頑張ってくれてる人がいるというのは見えないのだ、与えられすぎちゃうと。それに用意された“綺麗なモノ”をぶち壊したくなっちゃうという若い反抗心もわからなくも・・・ない。
与えられすぎてイイことってあんまりナイ。
“無の美学”というか。
何もなければ、そこから何が生み出そうと、人は頑張るわけで。
何かを作り出そうという想像力、どうやったらできるか考える思考力、それを実現する忍耐力、これらは生き抜く力になる。その人の宝物だ。
チビたんにはあんまり“何か”をさせたくない、と思っているワタシ達夫婦。
たとえば、お稽古事みたいなの。野球やサッカー、英語に中国語、算数に漢字、ピアノ、ダンス・・・
早く始めたほうが、芽がでるのは早いだろう。
でも子どもが興味を持つ前に与えてしまうと、大切なことが「やらされてる事」になってしまう気がする。
3歳くらいになれば「あれ欲しい、これやりたい」とチビたんも言い出すだろう。
でも、本当に欲しいものは簡単には手に入らないゼ、ということをわかって欲しい。
特技とか頭脳とか、将来の夢とか。それはチビたんが決めればいい。ワタシ達は健康な体と、良い悪いをジャッジできる精神を与えてあげさえすれば良いのだ。
なんちゃって。そうは言っても、可愛い我が子だもんね。
コレがヨイと思えば与えちゃうもんだ。
“無の美学”なんて忘れて、過干渉しちゃったりするかもしれない。
誰も子どもに悪くなってもらいたい親なんていないもんねー。
でもそんなとき、ブレーキをかけてくれるのが、ダンナさんだったり、ママ友だったり、実母だったり義父母だったりするんだろうな。
いやいやなんとも、とりとめのない文章になってしまった。
これはきっと夕食前だからに他ならない。チビたんの将来も大事だが、まずは夕飯の仕上げをしなくては・・・