明日で、出産予定日1週間前になる。
さすがにここまでくると、今まではなかった下腹部の痛みや張りを感じることがあり「そろそろ産まれるんだなあ」と実感することが多くなってきた。

チビたんのときは、夜通しの陣痛で、徹夜明けで出産を迎えた。かなり体力的に厳しかったので、今回は「いつ陣痛が来てもいいように」早めに就寝するようにしている。今までは、チビたんを寝かしつけ→夕飯をゆっくり食べ→好きなことをする→11時ごろ就寝、という流れだった。しかし最近は、チビたんを寝かしつけながら、自分も一緒に寝てしまうパターンが多い。(夜9時から朝6時まで寝てることになる・・・寝すぎ

なかなかすんなり寝てくれないチビたんに、絵本を読んでやったり、一緒にベットでゴロゴロするワタシ。このまま寝ちゃってもいい、と思うと、今までよりのんびりと寝かしつけに専念できるようになった。チビたんも嬉しいと思ってくれているのか、顔を近づけてニコニコ笑う様は、本当に可愛い。

新しく子供を迎えるうれしさは、2年前チビたんを産んだときと同じ。でもあのときにはなかった気持ちが今はある。
それは「ワタシに何かあったらどうしよう」ということ。

もちろん、そんな不安を抱えて日々を送ってるわけではない。医学が進んだ現代に、お産が危険なものなんて思ってないし・・・。ほんと、チビたんの顔を見てたら、ふっと思っただけなんだ。

でも、お産ってやっぱり非日常的な行為。何があるかわからないとも言われる。もし、ワタシに何かあったとき、チビたんはどうなるんだろう。

ワタシを恋しがって泣くのだろうか。
それとも、まだ幼いチビたんは、母親のことを忘れてしまうんだろうか。

そんなことをふっと思った昨日の夜。
バカだよな〜。たとえば自分の姉がそんなことを考えてると知ったら
「あほか〜、そんなありもしないこと考えるなら、もっと建設的なことを考えナ」と言うに違いない。
でも、なんつーかなあ、言葉でうまく説明できないけど・・・
もし万が一のことがあったとき、自分にとって一番辛いことは「チビたんに会えなくなること」なんだと気が付かされたんだよね、その時に。

大切なものが増えると、失うことが怖くなる。
チビたん現在2歳。言葉も通じず、自分でご飯を食べることもできず、一人で生きていくことができない小さい、小さい存在だったチビたんが、無事何事もなく2歳になってくれたことって、当たり前のようで、実は全然、当たり前のことじゃない。
旦那さんや家族、友達、回りの人、そして見えないチカラにたくさん助けられているおかげなんだよなあ〜。
そう考えると、あと出産1週間というところまで、何の問題もなく無事に妊娠を継続できたことも、本当にありがたいことだ。

チビたんも、お腹の赤ちゃんも元気に育ってくれたことに感謝です・・・。

なんだか何が言いたいのかわからなくなってしまったが・・・

子供が生まれて忙しくなったら、いろいろ忙しくなって、こんな神妙に考えたことをすっかり忘れてしまうんだろうな、なんて思って書き留めておきました。

そんなことを考える暇があるなら、もっとチビたんにかまってやったり、優しくしてあげればいいのに、それができないで放置プレイしてるところが、ワタシの母親として、というか人間として未熟なところですう。